勤務医最終日!
お花を頂きました
外来スタッフと記念撮影!長い間お世話になりました。
いさか内科・消化器内視鏡クリニックの井坂です。
遂に勤務医としての最後の日を迎えました。
少し大げさですが、節目としてここまでの半生を振り返ってみることにしました。
ちょっとだけお付き合いください。
1 高校生時代
高校入学当初から医師になることを志し、同じような難関大学を目指す同級生とともに勉強に励んでいました。
進学率の高い学校でしたので、同級生の意識も高く、自分とは次元の違う天才肌の人もいて、所詮自分も井の中の蛙であったかと圧倒されたのを覚えています。
2 大学生時代
地方の大学のこともあってか、同級生は素朴な人も多く、居心地よく過ごしました。
弓道部に入部し、腕は上がりませんでしたが、卒業して20年以上経った今でも毎年1回定期的に逢っている先輩・後輩に恵まれました。
医学の勉強は総じて楽しかったです。
3 研修医時代(大学病院)
卒業大学の医局にそのまま入局し、附属病院で研修を開始しました。
当時の研修医の扱いは本当に雑でしたが、同期が多くいましたので、協力しあいながらも切磋琢磨していました。
4 研修医時代(市中総合病院)
医局の関連総合病院へ異動になります。
体力的にきつかったのが、3日に1回の頻度であたる二次救急当番で、いわゆる眠れない当直です。
まだ、20代だからなんとか無理がききましたが、翌日は頭がボーッとして普通の業務をこなしていました。
幸い事故が起きなくてよかったです。
ちなみに昨今の救急病院では当直明けの仕事はセーブできるような体制になっていると思います
5 医員時代(市中総合病院)
何となく自信がついてきて、後輩医師が下についたりするものですから調子に乗っちゃう時期です。
消化器内科を専門にしようと決意した時期でもあります。
6 レジデント時代(がんセンター)
消化器疾患をもっと掘り下げて学びたいと思い、愛知県がんセンターに研修に行きました。
多くの症例を経験し、当時最先端であった内視鏡手技の取得や学会発表、論文執筆など濃密な2年間を過ごしました。
7 医長時代(市中総合病院)
取得した手技を患者さんに還元すべく励みました。
また、後輩の指導にも熱をもって取り組みました。
8 医長兼内視鏡センター長時代(市中病院)
まだ黎明期であった内視鏡センターの充実を図ることを期待されて転職しました。
環境整備から取り掛かり、スタッフの教育も行い、少しずつ内視鏡件数を伸ばして周囲の患者さんへの認知に努めました。
9 部長兼副院長時代(市中病院)
主に内視鏡検査・治療と外来診療を中心に取り組みました。
また、管理職として各委員会に出席し、病院の運営にも関わることができました。
10 クリニック開業準備時代
病院に勤務しながらの開業準備は中々大変でした。
コロナ禍は当然の弊害として、物価上昇、光熱費高騰、薬品不足など難題ばかり降ってきて、正直滅入りました。
この同時期にクリニック開業準備をしている全国の医師と呑みにいきたいくらいです。
以上、徒然なるままに書き出してみました。
いつのまにか医師人生23年も経っていたという認識です。
ここで一旦診療から離れ、2か月間をかけてクリニック開院準備に本腰を入れていきます!
開院を心待ちにしてくれている方々、もうしばらくお待ちくださいませ。
遂に勤務医としての最後の日を迎えました。
少し大げさですが、節目としてここまでの半生を振り返ってみることにしました。
ちょっとだけお付き合いください。
1 高校生時代
高校入学当初から医師になることを志し、同じような難関大学を目指す同級生とともに勉強に励んでいました。
進学率の高い学校でしたので、同級生の意識も高く、自分とは次元の違う天才肌の人もいて、所詮自分も井の中の蛙であったかと圧倒されたのを覚えています。
2 大学生時代
地方の大学のこともあってか、同級生は素朴な人も多く、居心地よく過ごしました。
弓道部に入部し、腕は上がりませんでしたが、卒業して20年以上経った今でも毎年1回定期的に逢っている先輩・後輩に恵まれました。
医学の勉強は総じて楽しかったです。
3 研修医時代(大学病院)
卒業大学の医局にそのまま入局し、附属病院で研修を開始しました。
当時の研修医の扱いは本当に雑でしたが、同期が多くいましたので、協力しあいながらも切磋琢磨していました。
4 研修医時代(市中総合病院)
医局の関連総合病院へ異動になります。
体力的にきつかったのが、3日に1回の頻度であたる二次救急当番で、いわゆる眠れない当直です。
まだ、20代だからなんとか無理がききましたが、翌日は頭がボーッとして普通の業務をこなしていました。
幸い事故が起きなくてよかったです。
ちなみに昨今の救急病院では当直明けの仕事はセーブできるような体制になっていると思います
5 医員時代(市中総合病院)
何となく自信がついてきて、後輩医師が下についたりするものですから調子に乗っちゃう時期です。
消化器内科を専門にしようと決意した時期でもあります。
6 レジデント時代(がんセンター)
消化器疾患をもっと掘り下げて学びたいと思い、愛知県がんセンターに研修に行きました。
多くの症例を経験し、当時最先端であった内視鏡手技の取得や学会発表、論文執筆など濃密な2年間を過ごしました。
7 医長時代(市中総合病院)
取得した手技を患者さんに還元すべく励みました。
また、後輩の指導にも熱をもって取り組みました。
8 医長兼内視鏡センター長時代(市中病院)
まだ黎明期であった内視鏡センターの充実を図ることを期待されて転職しました。
環境整備から取り掛かり、スタッフの教育も行い、少しずつ内視鏡件数を伸ばして周囲の患者さんへの認知に努めました。
9 部長兼副院長時代(市中病院)
主に内視鏡検査・治療と外来診療を中心に取り組みました。
また、管理職として各委員会に出席し、病院の運営にも関わることができました。
10 クリニック開業準備時代
病院に勤務しながらの開業準備は中々大変でした。
コロナ禍は当然の弊害として、物価上昇、光熱費高騰、薬品不足など難題ばかり降ってきて、正直滅入りました。
この同時期にクリニック開業準備をしている全国の医師と呑みにいきたいくらいです。
以上、徒然なるままに書き出してみました。
いつのまにか医師人生23年も経っていたという認識です。
ここで一旦診療から離れ、2か月間をかけてクリニック開院準備に本腰を入れていきます!
開院を心待ちにしてくれている方々、もうしばらくお待ちくださいませ。
返却する院内PHS、USBキー、名札。長い間相棒として使用しました。